2012年10月15日

静かなる「反乱」

 高知県は、いうまでもなく農業県である。
 その高知に住んでいると、この国の農業の惨状と、その元凶であるJA農協という世界にも類を見ない不気味な巨大組織の存在がよく見えてくる。そして日本農業壊滅の縮図が、あちこちで散見される。
 JA農協が、その名の由来である農業協同組合というものではまるでない、つまり農民有志が協同でつくった農民のための相互扶助組織でないことは、周知のことだろう。もともとは、1943年につくられた戦時体制下の「農業会」がその母体で、強制的に農民を組織して食糧統制するための団体だった。いうまでもなく農民のための組織ではない。
 戦後、GHQは「農業会」の非民主性を理由に、加入・脱退が自由な農民の自主的運営による協同組合にするよう政府に指導した。ところが政府は結局、看板だけを農業協同組合に替えただけで中味は「農業会」のままうやむやしてしまった。つまり、いまの農協の実体は創設時からして「協同組合」ではないのである。
 自動的に、あるいは半強制的に組合員や準組合員になる日本の農民も、農協が自分たちのために存在しているのではないことは、よほど呑気な人でないがきり知っている。しかし、農家の人たちは口をそろえて、「仕方がない」という。すべての農村地帯で農民自身によってひそひそと語られることだ。「ひそひそ」なのは、声を上げたり脱退したりするだけでさまざまな嫌がらせを受け、苗や資材も売ってもらえず、販路も絶たれ、村八分にされるからだ。農家にとって、これほどおそろしいことはない。
 JA農協は、農民の労働と農産物という生き血を吸って肥大化・巨大化し、自らの存続と繁栄のために日々の業務を行う巨大農業商社となっている。いや、農業商社ですらない。資材・農薬・肥料など物品販売(経済事業)を除けば、生命保険・損害保険(共済事業)、住宅ローン貸付・貯金(信用事業)、介護サービス(福祉事業)といった農業とはまるで無関係の事業を柱とする巨大コングロマリットなのだ。であるのに、数百万人という組合員や準組合員という名の農家の存在を背景に、あたかも日本の農業を代表しているかのごとく政治的発言力を持ち、日本最大で最強のロビー団体として君臨している。
 農協は農民に苗や資材を売り、農薬や肥料を売り、トラクターや稲刈り機などの大型機械購入を勧めてその資金を融資し、住宅資金を融資し、保険に加入させ、貯金をさせ、がんじがらめにして首根っこを押さえ、あげくにJA葬祭で仕舞いをつけてやる。このように農民の人生のすべてを、囲い込んでしまうわけだ。
 そして、農民の労働や汗の結晶として生みだされる農作物に対し、単位農協、各県の経済連(高知では野菜・果物・花は園芸蓮)、全農とピラミッド状に次々と手数料と称するピンハネをする。消費者は高い野菜や果物は買わないから、スーパーなどでの価格は高くはできない。そのしわ寄せは結局、生産者にまわされることになる。消費者には信じられないような安い価格でかれらは作物を出荷せざるをえないのだ。だが、苦しくても逃げだせないような仕組みになっているために、「仕方がない」と諦める。
 週末だけ農業をする兼業農家は、サラリーマンとしての収入があるのでそれでも一向に構わない。が、専業農家は苦しい。この悪魔のシステム(農水省、族議員を加えて「農政トライアングル」ともいわれる)によって“農協栄えて農業滅ぶ”という構図ができあがり、食糧自給率39%というおそろしくいびつな国が出来上がったのである。
 ところで、このJA農協という亡国のコングロマリットに対し、かなり以前から高知で静かな反乱が起こっていることをご存知だろうか。「反乱」が穏当でなければ、「抵抗」でもよい。いや、“一条の光”とでも形容したい気分だ。たとえば有機栽培農家が農協を介さず、販路を自ら開拓して消費者に直販するということはいまや珍しくないが、ここで話題にするのは、もう少し社会性を持った一種のソーシャルビジネスだ。
 それは、香南市赤岡町の株式会社赤岡青果市場(村山寿夫社長)である。
 一地方の卸売市場にあって、売り上げ百億円をあげる全国的にも名の知れた存在で、海外からの視察も多く、2010年には当時の鳩山首相も見学に訪れている。今年2月には「地域づくり総務大臣表彰」を受賞するなど、知る人ぞ知る産地市場なのである。
 2009年まで同社の社長を務めたのが、昭和2年生まれの水田幸子さん。当年とって86歳である。赤岡町や野市町などの農村地帯をホンダ・カブで走っている姿を見かけた人もいるかもしれない。大正12年に水田さんの父親がこの市場をはじめたが、終戦後すぐに父親は死去。すでに教師の職も決まっていた彼女だったが、けっきょく断念して父の遺志を継いで市場(当時は「赤岡食品市場」)を配給機関として再開することになった。昭和20年11月のことである。
 その後は農協・園芸蓮といういわゆる農協系統では扱わない規格外(ハネ出し)だけを扱う市場として運営してきたが、自分たちのつくったものを認めてもらいたいと強く思うようになった生産者ニーズの変化をつかみ、産地市場として成長軌道に乗った。
 農協系統は共同計算方式である。県内全域から農作物を集め一括して販売するため、形や色さえ揃っていれば味や農薬・化学肥料の投与量などに関係なく生産農家に支払われる。つまり、生産者はある程度安定はするが、努力が報われる仕組みではないのだ。たとえば意識の高い農家が農薬や化学肥料を極力使わず手間をかけて安全でおいしい作物を育てても農協系統では意味をなさない。だから結局、ほとんどの生産者は手間をかけず大量の農薬・化学肥料を使用して工業製品をつくるように作物をつくり、それが農協へ流れ、全国の消費者の食卓にならぶ。日本はじつは単位面積当たりで世界一の農薬使用国(農薬大国といわれる中国のなんと20倍!)であることは意外に知られていないが、そのような裏事情があるためだ。いま日本人の多くが何らかのアレルギー疾患を抱え、がんが急激にふえていることも、このことと無関係ではないだろうといわれている。おそろしいことだ。
 ところで、水田幸子さんのすごいところはたくさんあるが、たとえば赤岡青果市場が行っている無料集荷などはその好例だろう。信じられないことに、同社の男性社員が毎朝4時半と10時に30台のトラックで香南市、南国市、安芸市と広範な産地へ集荷に向かうのだ。高齢者と女性がいまや農家の主力、かれらの労力を極力減らしてやりたいという思いではじめたというが、玄関先に置いておけば市場まで運んでくれるのだからから、高齢者でもなんとか農作業を続けられるというものだ。おまけに出荷翌日には現金払いで決済してくれるので農家はとてもありがたい。商売第一に考える他の市場では絶対にできないし、農協にいたってははな(・・)から考えもしないだろう。いまや3000戸の登録農家を有するに至ったというが、なるほどうなずける。
 水田さんは多くは語らないが、強大な農協の激しい攻勢や陰湿な嫌がらせをうけながらも多くの生産者が赤岡青果市場を支持してくれたことで自信をつけ、経営者として業績をあげてきたのである。その手腕は、見事というほかない。
 同社はかつて協同組合だったが、昭和51年に株式会社へ組織変更した。つまり営利企業なのだが、水田さんの経営理念に自社繁栄という言葉はない。「日本の農業の将来は高齢者や女性が働けるような仕組みをつくって、いかにやる気を起こさせるかにかかっている」という水田さんは、生産者が心をこめてつくった作物をいかに有利に販売するかを常に考え、少量でも規格外でも扱えるよう自ら外食産業などに販路を開拓し、営農指導など本来は協同組合のやるべきことも率先して行う。つまり農家の側に立ってすべての経営方針を決めているわけだ。一方のJA農業協同組合の方は、一般企業顔負けの巨大コングロマリットとなって農民を囲い込み、生き血を吸うのだから、まことに皮肉としかいいようがない。
 水田さんに『わが心の詩』(農林リサーチセンター)という著書がある。本の帯に「農家の暮らしを豊かにしてあげたい」と書かれているが、これは父親の遺志でもあり、水田さんが一貫して守り、実行してきた言葉なのだ。建前だけのきれいごとではないことは、彼女の生き様がはっきりと示している。
 ところで、無農薬・無肥料の「自然栽培」によって、世界ではじめてりんご栽培に成功した青森の木村秋則さんのことは以前にもすこしふれた。“奇跡のりんご”としてテレビなどで報じられ有名になった人物だが、いまや米や野菜づくりでも自然栽培を成功させ、かれの提唱する農法は「ナチュラルファーミングAKメソッド」と命名され、全国的な広がりを見せはじめている。
 木村さんも、自然栽培をはじめる前はご多分にもれず農薬・化学肥料を大量に使っていた。農協の上客だったわけだ。ところが自然栽培をはじめてからというもの、農協からさんざん嫌がらせを受けるようになる。農薬も肥料も使わない農法が広がっては農協は商売にならなくなるからだが、かれの意志は固かった。そして成功させた。その成功をみた一部の農協が自らのあやまちを認めてか、協力を申し出てきていることが木村さんの最近の著書『百姓が地球を救う』(東邦出版)に書かれている。木村さんの運動も、水田さん同様に、静かなる「反乱」といえるだろう。
 この国の農業を救うのは、まちがいなく水田さんや木村さんのような”反乱者”−見た目は普通のおばあさんとおじさんだが−であり、かれらに触発され、志をたかくもって農業に取組む生産者の広がりにほかならない。これを阻むのがJA農協ならば、そのような組織は一日もはやく解体し、農民による農民のための、つまり本来の協同組合としてつくり直すしかないだろう。
 ひとびとの精神とからだの健康を取りもどし、子々孫々にゆたかな農地を遺してやるためにも―。
            Text by Shuhei Matsuoka
posted by ノブレスオブリージュ at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする