2014年07月14日

”土佐の山翁”に訊け

 かつて本コラムに「木を植えるということ」という小論(拙著『風聞異説』にも収録)を書いたことがある。2007年のことである。
 木を植えるということの本質と価値を自分なりに考え、読者の皆さんに提示してみようとおもったのが動機であった。そしてこんな一文で結んだものだ。

 伊庭貞剛の森は愛媛だが、隣接する高知県は森林率が84%で全国一の森林県だというのが自慢である。それはそれで結構なことだが、峻険な四国山脈に分け入り人知れず黙々と木を植え育てていった土佐の先人たちの営為をこそ、誇るべきではないか。
 「志を継ぐ」こと、これこそが木を植えるという行為の本質なのかもしれない。

 わたしがこの小論を脱稿したのは2007年5月。まことに迂闊なことに、”土佐の山翁”福田健次郎氏(1920〜2007)の存在をしらずに書いたのだが、この福田翁こそ、われわれ土佐人が誇るべき”土佐の先人たち”を代表する人物だったことをのちに識ることになる。そして奇遇なことに、わたしが上の一文を書く直前に、翁は88歳で逝去されていたのである。
 福田健次郎―。
 建機レンタルなどを主業務とする四国建設センター(高知市葛島)という会社の創業者で、浦戸湾を守る会、物部川ダム反対運動、緑の党の運動と、高知パルプ生コン事件で知られる山崎圭次氏らと行動をともにし、環境問題にふかくコミットしてきた人物である。そして、知る人ぞ知る土佐の山林王でもあった。
 さいきん、ある本の存在を識り、私家版であるため発行者(健次郎氏のご子息)が経営する会社の方におねがいして一冊落手した。
 『希いは一つ』というタイトルで、「福田健次郎 遺稿集」と副題がついている。昭和40年代から亡くなる直前まで、やむにやまれぬ思いで書きつづけた評論や論文、雑誌への寄稿文などをあつめ、没後に遺族が編集・出版したものである。
 このなかに、木を植えることについての文章がいくつかある。
 福田氏は昭和21年、27歳のとき赤岡町に製氷会社を創業したが、昭和30年頃に建機レンタル会社を新たに興すことを決意し、その創業資金の一部にするため父親から贈与されたばかりの35年生の桧山を収入伐採、その後も80町歩の原生林を資金繰りのために売却した。そのことがずっと気になっていたのだろう、父にたいする罪滅ぼしの気持ちもあって昭和35年ごろから副業として山林を買い足しはじめ、植林をはじめたのである。
 早稲田の理工学部出で林業知識はゼロだったが、試行錯誤を経ながら、見事な山林をつぎつぎと育成していった。昭和40年代には猫も杓子も土地投機に奔(はし)りはじめたが、「土地をただ置いておけば儲かるようなことはしたくない」と浮利を卑しみ、山林投資のみの一点張り。本人にとってそれは、“比較的健全な道楽”でもあったのだ。
 リターンを得るまでに長い時間を要する山林経営がはたして会社経営にメリットとなるのかとも思うが、福田翁独特の理にかなった考えは耳を傾けるに値する。すこし長いが引用しよう。

 化石エネルギーの枯渇と共に現代工業中心社会は終わり、太陽エネルギーに依存する一次産業中心社会へ の回帰は不可避であるとの信念に基づきます。例えば、鉱工業生産高は間違いで、鉱工業加工高と言うべきです。真に生産と言えるのは、太陽光線と葉緑素による光合成、つまり農林漁業だけです。少なくとも2、30年後には一次産業への回帰が始まると確信しています。
 又の理由は、今日は税金抜きに事業経営は語れません。一般に会社の利益は約60%が税金で持って行かれます。ところが社有林の場合、一定の条件付きで植付、撫育、作業道等の出費は単年度或いは数年度で損金処理が認められます。その代わり木材伐出利益には60%の法人課税です。つまり本業の利益のある時に山林投資をし、赤字の時には木材伐出で、会社の安泰を図ろうというわけです。
 又、心情的に林業に魅入られました。どんな建築や構造物も年毎に老朽化しますが、樹木は半永久的に成長を続け、遂には荘厳ともいえる林相に達するからです。明らかに人生は有限と解っているにかかわらず、林内に佇むと木と共に永遠に生きられるような誠に有り難い錯覚を与えてくれます。

 これは平成7年、福田翁76歳のころの雑誌寄稿文からの抜粋である。
 一個の人間のなかにゆたかな知性と感受性が高度に融和した、地方教養人のあるべき姿の一典型がここに見られるではないか。
 福田氏の文章は、明晰な理系人間の例にもれずどれもきわめて論理的で科学的、ふかい思索のあとがうかがえる点で特徴的だ。そしてかなり先駆的でもある。たとえば“「週休三日制」の提案”などはその好例だ。これは『人と自然』という雑誌への寄稿論文だが、掲載されたのは昭和54年(1979)、まだ世の中が週休2日にもなっていない35年も前であることに一驚させられる。そして提案者が会社社長というのだから、どこか飄逸でもある。
 「自然環境を破壊する自由経済の暴走を制御するために」と副題がそえられているので内容は察してもらえると思うが、ひとことでいえば、野放図な自然環境破壊と資源濫費に警鐘を鳴らし、それを食い止めるためには経済の縮小しかありえず、まずは週休3日にして働く時間を減らして生産量を減らすしかないというのが骨子だ。おもしろいのは、農業団体は過酷な「減反」を強いられているのだから、政財界に「工業の減反」を迫るよう求めるのが当然ではないかとしている条(くだり)で、わたしなど思わず膝を拍ったものだ。
 週休3日というと、日本政府だって国民の休日を増やすことに躍起だという人もいるかもしれない。その通りだが、目的が福田氏とは真逆である点に注意しよう。政府の方は、金を使うことを国民に奨励して消費を増大させ、景気浮揚と経済拡大を促したいという相変わらずの近視眼的バブル志向が背景になっているが、福田翁の唱える週休3日制は過剰生産、過剰消費に歯止めをかけ、ワークシェアを促し、経済を段階的に縮小させるという長期的視座を持っている点で対照的だ。はたしてどちらが健康的で先進的な経済の捉え方か、小さな地球というゼロサムのなかでやりくりするしかない現実を正視するか否かの差がそこにあらわれる。
 さてその福田翁、じつは稀代の節約家であったことでも知られている。
 断るまでもないが、節約家というのは、吝嗇(りんしょく)家ではない。節約・倹約は、その人のライフスタイルであり、大人の信念である。そして資源を濫費しない清々しい生き方である。が、吝(けち)は、ミーイズムから一歩も出ない幼児性の発露である。だから真逆の概念、とすらいえるかもしれない。福田翁も「節約とケチとは全く違います。自分に厳しく人にやさしく、その逆がケチです」と喝破しておられる。四国建設センター社長時代、燃費の良い軽自動車にしか乗らず、人は乗せないからと運転席以外の座席をすべて取り払っていたという話を仄聞(きい)たことがあるが、並の節約家とはケタがちがう。
 節約とは、言い換えれば、貪(むさぼ)らぬ生き方であろう。現代のようなゼロサム社会では、ひとりが貪れば、かならずだれかがその割を食う。貪ることは、卑しいことなのである。国家も企業も人も、それはおなじ。福田翁は、きっとそう云いたかったにちがいない。そして翁は、愛する山に入って黙々と木を植えつづけたのである。
 『希いは一つ』の表紙を開くと最初のページに福田翁のおだやかで聡明そうな顔写真と、そこにうつくしい詩がそえられている。最後にご一読を希いたい。

 今日も山行き
 希いは一つ
 無節三丈の万本桧

 せいたちいかんぜよ
 百年後には
 土佐の名物万本桧

 せめて遺したや
 万本桧
 魚梁瀬千本杉の
 後継ぎに
              Text by Shuhei Matsuoka
        単行本『風聞異説』http://www.k-cricket.com/new_publication.html
posted by ノブレスオブリージュ at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする