2015年06月19日

田中角栄の亡霊

 前回は47年前に書かれた3つの遺書を題材に、ここ半世紀のあいだに起こった日本人のただならぬ変容と淪落ぶりについて述べたが、今回はその原因について考えてみたい。
 さきごろ北陸新幹線が金沢まで延伸開通して話題となった。東京から金沢や富山に早く行けるようになっても高知に住むわれわれにはあまり関係ないが、それはさておき開通フィーバーが冷めたころ、ちょっとおもしろい新聞記事が目にとまった。
 田中角栄元首相が手書きした北陸新幹線の路線構想図が新潟県内で発見されたという内容で、昭和47年4月に新潟県新井市(現妙高市)の陳情団が目白の田中邸を訪れたとき、当時通産大臣だった角栄自ら北陸新幹線として想定される4ルートを手書きし、「このルートがいいと思っている」と、高崎から六日町を経て直江津を結ぶルートを指し示したという。これは新潟県中部を横断して角栄の地盤である旧新潟3区を通過するルートだが、このころすでに新潟県を縦断する上越新幹線(東京〜新潟間)の工事は着工されていたので、角栄は地元新潟に2本の新幹線を通すことを決め、すでに実行段階に入っていたことになる。
 あからさまな利益誘導が権力者によっていとも簡単に決められてゆく姿が印象的だが、じつはこの構想図が書かれた2ヵ月後の昭和47年6月、自民党総裁選を間近に控えていた田中角栄は満を持して『日本列島改造論』(日刊工業新聞社)を発表する。北陸新幹線の路線構想図を角栄が手ずから書いたとき、同書の原稿はすでに出来上がっていたわけだ。
 さて、本題はここからである。
 周知のように、この『日本列島改造論』は発売とともに一大ブームを巻き起こすことになるが、どうやらこの43年前に世に出たベストセラーこそが、日本人の変容と無残な淪落を決定づける直接的原因になったとみてよさそうなのだ。
 本書の「序にかえて」にはこうある。
 「明治百年をひとつのフシ目にして、都市集中のメリットは、いま明らかにデメリットに変わった。国民がいまなにより求めているのは、(都市の)過密と(地方の)過疎の弊害の同時解消であり、美しく、住みよい国土で将来に不安なく、豊かに暮らしていけることである。そのためには都市集中の奔流を大胆に転換して、民族の活力と日本経済のたくましい余力を日本列島の全域に向けて展開することである。工業の全国的な再配置と知識集約化、全国新幹線と高速自動車道の建設、情報通信網のネットワークの形成などをテーマにして、都市と農村、表日本と裏日本の格差は必ずなくすことができる」
 ひとびとはこの本の一点の曇りもない明快性に魅せられ、そして総理大臣になった田中角栄の力に自らの人生とあかるい未来を仮託し、かれを“今太閤”ともて囃して受け容れたのである。
 本書を改めて読んでみると、ありふれた政治家の政策論とは一味ちがい、その内容の精緻さにおどろかされる。全国を網羅する新幹線網(高知にも四国新幹線が伸びる計画となっている)、高速自動車道路網、3本の本四架橋などにより日本を「一日交通圏、一日経済圏に再編成する」(同書)というのが眼目で、データと数字にあふれ、きわめて具体的なのだ。
 田中角栄をコンピュータ付きブルドーザーとは誰が云ったか知らないが、いうまでもなくそのCPU役を担ったのは霞ヶ関の官僚たちだった。総理大臣になった角栄はその官僚たちを手足のごとく使い、日本列島改造をパワフルなブルドーザーよろしく一気に実現させてゆく。
 序文に書かれた角栄のことばに嘘はなく、かれの目指すところは大都市の過密と地方の過疎の解消、そして住みよい日本の創出であったのだろう。しかし、角栄の肚(はら)にはあきらかにもうひとつの目論見があった。かれは建設会社をはじめたわかいころから、「土地」は巨大なカネをつくるもっとも効率的な手段になるということを熟知していた。カネは、いうまでもなく、権力である。
 結果、このちいさな島国になにが起こったか。道路、新幹線、駅施設などが予定される周辺の土地を先行取得しようと目論む連中が雲霞(うんか)のごとく群れ出て、角栄の読みどおり激しい地価高騰が全国規模で起きはじめる。たしかに昭和30年代からの高度成長期に地価は騰(あ)がりはじめてはいたが、一億万民を土地投機熱に投じたのは、まちがいなく『日本列島改造論』の発刊とその実行がきっかけだった。
 かくして昭和50年代から未曾有の公共投資ブームが訪れ、日本国中に土建業者があふれ、ちいさな国土にひたすらコンクリートが流しこまれてゆく。一方で、株価上昇と地価高騰が日本経済を実体以上に膨張させ、社会の隅々にまで“カネがすべて”の拝金主義がはびこり、ひとびとの精神が腐食しはじめる。当の田中角栄はほどなくして立花隆レポートで土地転がしによる金脈を暴かれ、ロッキード事件で逮捕されるのだが、皮肉なことに日本列島改造によって地方はますます過疎化して疲弊し、首都圏などの都市部がますます巨大化、過密化していったのは周知のとおりだ。つまり、かれと取り巻きの官僚たちは政策的過ちのみならず、人道的過ちをも犯してしまったということになるだろう。
 それでも、バブル経済崩壊を奇貨としてそれまでとは逆方向に大きく舵を切ればまだよかった。だが日本はどこまでもツイてなかった。バブル経済絶頂期の1989年、つまりバブル経済崩壊の前年にはじまった日米構造協議が火に油を注いだのだ。
 アメリカからの強い要求により、10年間で430兆円という公共投資が日本経済の生産性を高めないような土木事業に向けられ、1994年にはさらに200兆円追加させられて最終的には630兆円の公共投資が実行される。バブル崩壊後の深刻な不況下、景気対策の名目で巨額の公共投資はつづき、その多くは地方に押しつけられたため国・地方自治体ともに莫大な借金を抱え沈んでいったのである。金持ちになりすぎ調子にのりすぎた属国日本へ宗主国アメリカがすえたお灸は、それほど強烈だったのだ。
 ところで、さいきん「増田レポート」(日本創生会議・人口減少問題検討分科会の報告)とその新書版『地方消滅』(中公新書)が世間の耳目をあつめているのをご存知だろうか。
 建設官僚から岩手県知事を3期、総務大臣も務めた地方行政のプロが「896の市町村が消える」というのだから穏やかではない。日本創生会議座長である著者の増田寛也氏は、人口減少を国家的大損失とみなし−わたしなどドイツやフランス並みに人口が減ればずっと住みやすい国になれるとおもうが−東京一極集中を是正するために人口20万人以上の地方中核都市に重点的に投資し、それ以外の弱小自治体は財政的に支えるのは無理なので消滅やむなしとする「選択と集中」で日本を創生せよと説く。
 予想数字やデータを多用してセンセーショナルな論理を組み立てている点、トップダウン方式の東京一極集中是正と地方中核都市構想などはまさに「日本列島改造論」と瓜二つ。増田氏は「日本列島改造論」について「…一時的に東京への人口流入を抑える効果はあったものの、いずれの政策も中央政府の財政支出によってハードの整備を進めるという側面が大きかったため、地方の自律的な雇用拡大と人口維持にはつながらなかった」と簡単にふれているだけだが、わたしには田中角栄の亡霊が40数年のときを経て蘇えろうとしているとしか思えない。人の精神(こころ)や生活の質、歴史や文化や自然といった数字では表せないきわめて重要なファクターに価値を見いださず、国際競争力や“大国幻想”に凝り固まった視野狭窄の霞ヶ関的発想こそ、両者に通底する本質だからだ。
 田中角栄と官僚たちが推し進めた日本列島改造がトリガーとなって日本全体をまるごと拝金社会に貶(おとし)め、われわれ日本人から健康な精神と質実さを奪い去ってしまったことは、いくら悔やんでも悔やみきれるものではない。が、だからといって、過去の為政者や役人らの過ちをいまさら嘆いても、これは詮ないことだ。
 明治維新からちょうど150年、東京の机上で構想される空論に振りまわされるのではなく、地域住民自らがリスクを負って政策や制度を選びとる時代が来たのかもしれない。
   Text by Shuhei Matsuoka
 単行本『風聞異説』http://www.k-cricket.com/new_publication.html


posted by ノブレスオブリージュ at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする