先月5月5日の「こどもの日」に掲載された、子どもの貧困化に関する新聞記事を読みながら、暗澹たる気持ちになった。
「世界の子ども貧困7億人」「コロナ禍 所得減直撃」「格差拡大 民間頼り限界」などの見出しが並ぶその特集記事は、21世紀初頭からのグローバル経済の進展に伴って世界の貧富差は急速に拡大しており、終息の見えないコロナ禍がそれを大きく加速させて世界中の子どもたちを直撃しているという内容である。災禍というものはいつの時代も、いちばん弱い者に襲いかかる。
記事によると、ユニセフと世銀の推計で2017年の世界の子どもの6人に1人に当たる3億5600万人が1日1.9ドル(約210円)以下で生活する極貧状態にあり、これが19年には5億8200万人、20年末には7億2500万人にまで増えているという。なんと直近3年間で食べることもままならぬ子どもの数が倍以上に急増しているのだ。大人と違って子どもの貧困は心身の成長に甚大な危害をもたらし、その影響は生涯にわたり続くといわれる。
むろんこの惨状はアフリカ、南アジア、中南米などの発展途上国だけの現象ではない。日本の「子どもの貧困率」(中間的な所得の半分に満たない世帯で暮らす18歳未満の割合)はリーマンショック後の2012年には16.3%という異常な高さとなり、「子ども食堂」という聞きなれない民間施設がこの年に誕生した。見るに見かねた大人たちが地域の子どもたちに無償で食事を提供し始めたのだが、これは行政に見捨てられた子どもたちの“駆け込み寺”となり、年々増えつづけて19年の調査では全国3718か所にものぼっている。いつの間に日本はこんな国になったのかと嘆息するほかないが、このたびのコロナ禍により子ども食堂も感染対策で活動制限せざるを得ず、事態は悪化の一途をたどっている。
その一方、アメリカに本拠を置く巨大IT企業GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)はこれまでにも増して大きく業績を伸ばし、莫大な利益を上げていることが報じられて人びとを驚嘆させている。これは世界的な子どもの貧困化とはまさに好対照をなす実に象徴的な出来事だ。
とはいえ表面的にはこれらの巨大IT企業が不正を働いて暴利をむさぼっているわけではないし、上に挙げた子どもの貧困化とも直接かかわりはないように見える。コロナウイルスの流行により地球上のほぼすべての国で人びとの活動が制限され、皆が家に籠ってパソコンやスマホでネットショッピングやゲームに没入していることがGAFAにとっておおきなビジネスチャンスになったというのが一般的な見方だ。
だが、果たして本質はそんなに単純なことなのか。
ここで、1995年に世を去ったドイツ人作家ミヒャエル・エンデの代表作『モモ』の話をしたい。『モモ』(岩波書店)は日本だけでも340万部以上の発行部数を誇る世界的ロングセラーで、こんなストーリーである。
主人公は廃墟の円形劇場に住む、粗末な身なりの孤児の少女モモ。彼女は人の話を聴く能力に長け、そのために彼女の周りには道路掃除夫ペッポや観光ガイドのジジら街の大人や子どもがいつも集まって穏やかに暮していた。そこにある日、「時間貯蓄銀行」から来た外交員「灰色の男たち」が姿を見せ始め、人びとに「時間を節約し、銀行に預ければ、利子によって何倍もの時間が得られる」と勧誘するようになる。時間を預けて、無駄遣いしないようひたすら効率的な生活をするようになった街の人びとはどんどん不機嫌になり、ついには生きる喜びを失っていく。「灰色の男たち」は世界中の余分な時間を独占しようとしていたのだ。それを知ったモモは「時間どろぼう」に盗まれた人びとの時間を取りもどすために、不思議なカメ・カシオペイアとともに戦いに乗りだしてゆく―。
この物語は、「時間」というものの大切さと生きることの意味を問うファンタジーだが、実は本意はもっと根源的なところにある。エンデがこの作品で「時間」に仮託したのは、現代社会を覆う極端な貧富差やとどまるところを知らぬ環境破壊など地球上の諸悪の根源にあるのが、「お金」の問題であるというテーゼなのだ。
『エンデの遺言―根源からお金を問うこと―』(NHK出版)でエンデは、現代社会は「お金」の病に罹(かか)っていると指摘する。
「どう考えてもおかしいのは資本主義体制下の金融システムではないでしょうか。人間が生きていくことのすべて、つまり個人の価値観から世界像まで、経済活動と結びつかないものはありません。問題の根源はお金にあるのです」
あらゆる「物」は時間の経過とともに古びて価値は減っていくが、「お金」だけは価値が減らないどころか利子を生んで増えていく。現在の金融システムと貨幣制度こそ、利が利を生む現代の錬金術であり、お金(投機マネー)が生み出す膨大な利子によって世界中の弱者や貧者から資産家に所得移転される仕組みなのである。『モモ』の中の「灰色の男たち」とは、この不正な貨幣システムの受益者のことなのだ。
われわれは家や車をローンで買ったときだけ利子を払っているのではない。企業は銀行から資金を借り、利子を加えてそれを返している。その利子分は企業の販売する商品やサービスの価格に上乗せされる。もしその価格から利子分がなくなると物やサービスの値段は3割ほども安くなり、庶民の所得はいまの2倍にもなるといわれる。つまりこの貨幣システムによりわれわれは自動的に収奪され、貧者はますます貧しくなり、その分、受益者(先進国及び資産家)はますます肥え太っていく仕組みになっているのだ。
わたしはかつて本コラムで、世界の大富豪上位8人の総資産が、世界人口のうち所得の低い半分に相当する36億人の総資産と同額であるという驚くべきニュースを取り上げたことがあった。この富豪のうち6人はGAFAのアマゾン創業者ジェフ・ベゾス、フェイスブック創業者マーク・ザッカーバーグ、そしてマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツなどのアメリカ人であり、そのアメリカは1%の人間がその他の99%よりも多くを所有しているといわれるほどの極端な格差社会だ。そして同時に、アメリカのような先進国は毎日、莫大な利子を第三世界から自動的に奪っているのである。
そしてさらに深刻な問題がある。『エンデの遺言』の中でかれは、お金にまつわる象徴的な例として、スイスの経済学者ビンズヴァンガーの著書からこんな実話を引いている。
<ロシアのバイカル湖の湖畔に暮らす漁民たちは紙幣というものがその地方に導入されるまではよい生活を送っていた。毎日売れるだけの量を獲っていたのだが、今ではバイカル湖の魚は最後の一匹まで獲りつくされてしまった。それは、ある日紙幣が入ってきたからだ。紙幣と一緒に銀行ローンもやってきて、漁師たちは競ってローンで大きな船を買い、より効果的な漁法を採用し、冷凍倉庫を建て、獲った魚は遠くまで運搬できるようになった。すると対岸の漁師も負けじとさらに大きな船を買い、大量に魚を獲り始めた。ローンを利子付きで返すためにもそうせざるを得なかったのだ。その結果、湖に魚がいなくなってしまった。>
金融・貨幣システムが人心を荒廃させるだけでなく、地球資源がとめどなく収奪され、自然環境が破壊され続ける現実の深刻さ。エンデは「わたしたちは短期的利潤のためにおのれの畑を荒らし、土壌を不毛にしている農夫と同じだ」と断じ、パン屋でパンを買うときに払うお金と、株式取引所で扱われる資本としてのお金が同じであってはならないと主張する。錬金術によってグロテスクに自己増殖する膨大な資本の成長は無から生ずるものではなく、どこかの誰かが犠牲になり、自然が犠牲になっているからだ。
「貨幣を実際になされた労働や物的価値の等価代償として取り戻すためには、いまの貨幣システムの何を変えるべきなのか、ということです。これは人類がこの惑星で今後も生存できるかどうかを決める決定的な問いであると、わたしは思っています」「人々はお金は変えられないと考えていますが、そうではありません。お金は変えられます。人間がつくったものですから」(同)
『モモ』は、盗まれた時間をモモが取り戻してハッピーエンドで終る。だがモモのいない現実社会は残酷だ。コロナ禍で追いつめられる大勢の貧しい子どもたちと、それをビジネスチャンスに天文学的な利益を上げるGAFAの存在がなによりも雄弁に物語る。そしてこのふたつの象徴的な現象には、あきらかな因果関係がある。そこに目をつぶらず、叡智をあつめて本気で踏み込まぬかぎり、SDGsや脱炭素などの緩い弥縫(びほう)策をいくら繰り出しても、残念ながら本質的な問題解決になりはしないだろう。
Text by Shuhei Matsuoka
単行本『風聞異説』http://www.k-cricket.com/new_publication.html