ここ1年半ほどは、政界の腐敗が次々と暴かれるスキャンダルのオンパレードだ。これほどまでに自民党は腐り切っていたかとあきれるばかりだが、それにしても民主国家とは言い難いこの日本でよくぞこれらが表に出たものだと近ごろは思うようになった。
自民党との永年の癒着を背景に多くの被害者を生んだ旧統一教会事件とほぼ同時期に表に出たのが五輪汚職だ。世論の反対を押し切ってコロナ下に強行された東京五輪は、数えあげればきりがないほどのトラブル続きでまさに呪われた五輪だったが、挙句に電通などが絡む大胆かつ悪辣な贈収賄事件にまで発展して世間を唖然とさせた。これにつづいて噴出した自民党派閥の裏金事件はさらに超ド級の政界スキャンダルとなり、戦後日本を牛耳ってきた自民党の見るも無残な腐敗ぶりと政治家たちの唾棄すべき卑劣さをいやというほど見せつけられた、日本政治史にも残る出来事となった。
そしていまさらにして思うのは、これらの事件がすべて安倍晋三というたった一人の政治家との深いかかわりによって起きたという事実の重大さだ。これほど特異な事例は明治以降の政治史にもほとんど類がないのではないか。
森友・加計・桜の疑惑から逃げ切るためコロナ対策失敗による支持率低下を機に総理の座を突然投げ出し、自民党最大派閥「安倍派」の領袖として隠然とした力を持ち続けていたこの人物が、もしいまでも存命だったらどうなっていたか。ここ1年半の間に噴き出した重大な政治スキャンダルの数々は強権的な力によって押さえ込まれ、疑惑のまま闇に埋もれてしまったのではないか。
そう考えたとき、戦後62歳で政界入りして総理大臣まで務めたジャーナリスト出身の石橋湛山(いしばしたんざん)の名言「死もまた社会奉仕」が、頭をよぎるのだ。これは明治維新の元勲山県有朋(やまがたありとも)の死去(大正11年)に際して湛山が『東洋経済新報』に書いた評論のタイトルである。山県は80歳を過ぎてもなお政界に睨みをきかせ、隠然として君臨していた。
湛山はこう述べる。
<維新の元勲のかくて次第に去り行くは、寂しくも感ぜられる。しかし先日大隈侯逝去の場合にも述べたが如く世の中は新陳代謝だ。急激にはあらず、しかも絶えざる、停滞せざる新陳代謝があって、初めて社会は健全な発達をする。人は適当の時期に去り行くのも、また一の意義ある社会奉仕でなければならぬ。…一人の者が、久しきにわたって絶大の権力を占むれば、弊害が起る。>
これを書いた湛山はすでに東洋経済新報社の取締役ではあったが弱冠38歳。83歳の元勲山県有朋の死をもって社会奉仕と言い放つ言論人石橋湛山の肚(はら)のすわりようには驚嘆するほかない。
山県有朋と安倍晋三ではあまりに格がちがい、同等に論じられないのは云うまでもないが、共に長州出身で、権力志向が異常につよく、国家権力により国民を監視して反対者は封殺すべきとの信念を持った専制的リーダーであったことなど共通点が多いのも事実だ。安倍が山県をとりわけ畏敬していたのはよく知られるが、数百人の社会主義者らを証拠不十分のまま一斉検挙し、土佐中村(現四万十市)出身の幸徳秋水を筆頭に12名を処刑した明治44年の大弾圧事件(大逆事件)は、当時の元老山県のつよい意向によるフレームアップだったといわれている。
旧統一教会により家庭崩壊の憂き目にあったひとりの不幸な男による元首相暗殺という未曽有の出来事が、旧統一教会問題だけでなく五輪汚職と自民党裏金事件という空前の大醜聞を暴き出し、それが国民を目覚めさせついに政権交代ということになれば、まさに湛山流にいう「安倍晋三の死もまた社会奉仕」ということになるだろう。
さて、一方で忘れてはならないことがある。安倍一強時代からの失政により日本は課題山積でじつのところ相当な危険水域にあり、国会もマスコミも政治スキャンダルに右顧左眄(うこさべん)して時間を空費している場合ではないのだ。地球温暖化対策、防災対策、教育・少子化対策は待ったなしだが、より喫緊の課題が、脆弱の極にある食料とエネルギーの安全保障、そして国防政策である。
一昨年暮れに岸田文雄首相が突如発表した防衛予算倍増にはだれしもがあきれたことだった。日本はこれまで憲法を盾に防衛費GDP比1%を守ってきたが、いきなりNATO諸国並みに2%まで増やすというわけだ。戦時下でもないのに防衛予算を一挙に倍増する国なぞ見たことがないが、野党が弱いため何をしても自民党政権は盤石というおごりがこの狂気じみた行動に出させたのだろう。
むろんこれは岸田の独自政策ではない。第2次安倍政権のころからすでにアメリカから武器の大量購入を要望され、2020年には戦闘機F35を147機も“爆買い”する約束をしてトランプ大統領を大いに喜ばせたが、そんな安倍でさえ国内世論と中国の反発が予想される極端な防衛予算増には踏み込めなかったのだ。ところが鈍感力が服を着て歩いているような岸田が、おそらくはバイデン大統領から凄惨なウクライナ戦争を例に、台湾有事で困るのは日本だよ、なぞと説得されるや舞い上がってあっさりと飲んでしまったのだ。
これにはそれなりの根拠がある。バイデン本人が昨年6月20日、カリフォルニア州での支持者集会で「日本は長期間、軍事費を増やしてこなかった。私は日本の指導者に広島(G7サミット)を含め3回会い、彼(岸田首相)を説得した。彼も何か違うことをしなければならないと確信した。そして日本は指数関数的に軍事費を増やした」と自慢げに内情を喋ってしまったからだ。
この発言に大慌(あわ)てしたのが岸田だった。これではアメリカから要求されて防衛費倍増を決めたことがバレて立場をうしなう。すぐに外交ルートを通じて発言訂正を申し入れ、1週間後にアメリカ政府は「彼は私の説得を必要としなかった。彼はすでに決めていた」と、とってつけたような短い大統領コメントを出したことだった。
日本の首相の名前さえ記憶していない高齢のバイデンがうっかり本当のことを喋ってしまったのは明らかで、まさに“語るに落ちた”わけだ。
さてここで、湛山の遺言ともなった論評にふれないわけにはいかない。
2年前のロシアによるウクライナ侵攻とよく似た事件が東西冷戦時代に起こる。チェコスロバキアのドプチェク政権が進める自由化政策(「プラハの春」と呼ばれた)に危機感をもったソ連が1968年(昭和43年)8月、同国に軍事侵攻した事件だ。
戦車に蹂躙される首都プラハの様子を見て怖くなったか、あるいは絶好のタイミングと判断してか当時の首相佐藤栄作(安倍晋三の大叔父)が「日本の自衛力は足りないと思う」と軍拡へ踏み込みはじめたのだ。これに対して84歳の湛山が『東洋経済新報』に「日本防衛論」を発表して反駁(はんばく)する。
「なるほど、チェコの自衛力が不足だったから、あのような苦難に陥ったというのは事実である。しかしそうかといって、日本もまた自衛力を強化しなければならぬというのは、戦前の軍備拡張論と同じ危険な考え方だ」とし、明治維新や第2世界次大戦、泥沼化しつつあったベトナム戦争を例に論評を加え、「わが国の独立と安全を守るために、軍備の拡張という国力を消耗するような考えでいったら、国防を全うすることができないばかりでなく、国を滅ぼす。したがって、そういう考え方をもった政治家に政治を託するわけにはいかない」と厳しく論難したのだ。
憲法を解釈変更で次々と骨抜きにし、挙句には防衛予算倍増にくわえ敵基地攻撃能力を明記した安保関連3文書を閣議決定だけで改訂して戦争への道をひらいた愚昧なる政権リーダーらを見て、泉下の湛山はなんと言うだろうか。
東大・鈴木宣弘(のぶひろ)教授の『世界で最初に飢えるのは日本』(講談社+α新書)によると、日本の食料自給率はカロリーベースで37%だが、ほぼすべてを輸入に頼る野菜の種、家畜のエサ、肥料などを考慮した「真の自給率」は10%にも満たないという。戦前の日本の食料自給率は86%、大抵のEU諸国はいまでも穀物自給率100%超だ。いくら軍拡しようが、海外からの食料を止められたら日本は戦争どころかあっという間に飢餓に陥る、世界でもっとも食料安全保障の脆弱な国なのである。
安全保障が国民の命を守ることであるなら、いま何を優先すべきかは小学生でもわかること。「食料は武器より安い武器」というアメリカの狡猾な対日戦略にズルズルと呑み込まれていつのまにか完全な食料輸入国に転落し、おまけに防衛予算倍増を飲まされ際限なく武器を買わされて自ら戦争に近づきつつあるのが日本の現実なのである。
比類なき自由主義者で真の愛国者であった湛山の思想が、いまほど必要とされるときはない。(敬称略)
Text by Shuhei Matsuoka
単行本『風聞異説』http://www.k-cricket.com/new_publication.html