何ゆえに彼は名君たりえたのかといえば、ひとつは西郷隆盛などを抜擢した慧眼、いまひとつは藩主になってすぐに集成館事業という類まれな地場産業育成事業に取り組んだことである。
集成館事業とは、桜島と錦江湾を借景に取り込んだ美しい磯公園(島津家庭園)の一角を使い、反射炉・溶鉱炉建設、薩摩切子(ガラス)、鍛冶場、造船事業、薩英戦争で戦果をあげた造砲、様式銃・火薬、雷管製造、紡績・紡織、写真、農具改良、電信、製薬、印刷、留学生の派遣など20余りに及ぶ事業を行ったもので、この工場群は、薩英戦争の際に英国軍人に「これを友人に見せることができるならば死んでもよい」と言わしめたほど、花咲き乱れる庭園に隣接した美しい環境に合理的に建設されていた。
この頃英国ではすでに産業革命が起こっていたが、劣悪な労働環境の陰惨な近代工業都市となっていたことと比べると斉彬の優れた先見性、人物のスケールが分かる。
この時代の薩摩のありようと人材、技術力はまさに世界一級品といえ、明治維新後に日本が目指した殖産興業や富国強兵策を先取りしていたのである。残念ながら薩英戦争と西南戦争で工場群は壊滅したが、そのときの人材と志は近代日本の礎となったのである。
現在と江戸、明治期は社会の仕組みがたしかに違う。しかし今後地方自治体はかつての藩のように自立を余儀なくされ、自らの知恵で生き延びていくしかない。いまこそ高知県は、官民一体となって高知版“集成館事業”を財政再建の切り札として立ち上げ、実行していくべきではないだろうか。
じつは高知県には、すでにこのための最適な立地が用意されている。美しいキャンパスを持ち、桜咲き誇る鏡野公園に隣接した知と人材のメッカ、高知工科大学とその周辺である。蒼い空、緑なす山々、アユの棲む清流など豊かな自然に溢れた環境を全国の人たちが羨み、全国(あるいは世界)の頭脳を呼び寄せ、それに引き寄せられて若い人材も集まってくるのではないか。
人が集まり交流が盛んになれば、高知の主要産業でもある観光産業なども潤う。人の来ない魅力のない地方に、未来はない。
21世紀の地域復興のキーワードは「美」と「農」。
戦後復興、高度成長期、バブル期を通して葬り去られ、すっかり忘れ去られた大きな価値、それこそが地域文化であり美しい景観や町並みや田園風景である。これらと地場産業(経済)の育成を見事に融合させることが地域の目指すべき本来の姿であることを、150年前の薩摩の集成館事業が私たちに静かに教えている。
(了)
Text by Shuhei Marsuoka
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