2017年02月03日

「選択の自由」の顛末

 昨年末だったか、テレビの報道番組で訳知り顔のコメンテーターが何気なく喋った内容があまりに衝撃的で、素っ頓狂な声をあげてしまった。
 かれはたしか、こう言ったのだ。
 「マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏の総資産は、株や為替の動きで毎日1千億円ほど上下し、変動が大きいときはそれが5千億円に達する」
 この天文学的な数字が一個人の資産の、それもたった1日の変動額というのだから、世界一の金持ちというのはまことに気の毒としか云いようがない。よくそんな状態で精神に異常をきたさず日々暮らしていけるものだとおもうが、このテレビ番組から1ヵ月ほどして流れたさらなる驚愕ニュースは、もはや余人の想像をはるかに超えていた。
 フランス通信社AFPの報じたところによると、貧困撲滅に取り組む国際NGO「Oxfam」が次のような内容の報告書を出したという。
 「いま世界人口のうち所得の低い半分に相当する36億人の総資産と、世界でもっとも裕福な富豪8人の資産額は同額である」
 この8人とは、米誌「フォーブス」の世界長者番付上位のアメリカ人6人、スペイン人1人、メキシコ人1人で、この中にはマイクロソフト共同創業者のビル・ゲイツ、SNS最大手フェイスブック共同創業者のマーク・ザッカーバーグ、ネット通販最大手アマゾン・ドットコム創業者のジェフ・ベゾスが含まれているという。
 この国際NGOは、「格差が『社会を分断する脅威』となるレベルにまで拡大している」と警鐘を鳴らしているが、いま地球上の富の偏在は、「格差」なぞという呑気(のんき)な流行り言葉で表せるような、そんな生易しいレベルにはもうないと断じてよさそうだ。
 わたしはこのニュースを見て、シリアやイラクやウクライナなどの凄惨な紛争、難民問題、ISの隆盛と世界中で頻発するテロ、トランプ米大統領の登場、英国のEU離脱、欧米各国の右傾化、ヘイトスピーチの蔓延など地球上で人類が直面しているすべての深刻な社会問題や国際問題がこの異常なほどの富の偏在に起因し、その結果、社会の分断どころではなく、すでにわれわれ人類は第3次世界大戦に突入しているのではないかという暗い直感すら覚えたほどだ。
 そして同時に、わたしの脳裏にある人物の姿が浮かんだ。足尾銅山の鉱毒問題ですべてを擲(なげう)って住民とともに闘った政治家・田中正造を彷彿させるような、顔一面に白鬚をたくわえた老経済学者―。2014年9月に86歳で亡くなった、宇沢弘文氏である。
 氏は戦後日本を代表する経済学者で、アメリカや日本を中心に猖獗(しょうけつ)をきわめる市場原理主義という誤った経済システムが地球環境をおおきく破壊し、富の偏在をとめどなく拡散させることに警鐘を鳴らし続け、「社会的共通資本」を基軸概念とする、人間を中心に据えた新しい経済学の構築を目指し、またその必要性を世に問い続けた人物だ。
 社会的共通資本とは、大気・水・森林・河川・海洋・土壌などの「自然環境」、道路・交通機関・上下水道などの「社会的インフラストラクチャー」、教育・医療・福祉・行政などの「制度資本」という3要素からなる概念で、これらは貧富、人種、地域にかかわらずすべての人が公正・公平に享受できなければならない基本的な要件であるとした上で、優勝劣敗の市場原理をこれらの分野に野放図に導入してはならないとする。社会的共通資本は万人の共有物「コモンズ(Commons)」なのだという考えなのだ。
 わたしなどはきわめて健康的で常識的な理念だとおもうが、しかし1980年頃から世界を席巻してきた「新自由主義(Neoliberalism)」―その本質は徹底的な市場化と規制緩和により人間社会のすべてを儲け(売買)の対象とする “市場原理主義”なのだが―という巨大な妖怪の前で、この宇沢経済学は青息吐息である。
 1980年、アメリカの経済学者でノーベル経済学賞受賞者であるミルトン・フリードマンと妻ローズの共著『選択の自由(FREE TO CHOOSE)―自立社会への挑戦―』(邦訳は日本経済新聞社版)が出版された。経済成長を阻む環境保護運動や消費者運動を批判し、公共セクターの徹底した民営化、聖域なき規制緩和・自由市場化などを説くこの野心的な1冊は世界各国で翻訳され、フリードマンを教祖とする市場原理主義は世界中に輸出されてその信者を生み出してゆく。
 バブル崩壊後の不況に喘ぐ属国・日本はとりわけ格好のターゲットとなり、アメリカの強い意向に従って規制緩和や自由市場化が強力にすすめられることになるが、その最たる例が、ブッシュ政権からの意向を受けた小泉・竹中改革であった。このときから日本は郵政民営化、三位一体改革にとどまらず教育、福祉、医療など最重要な社会共通資本にまで容赦のない市場原理を導入し、いわば商品化してしまったのである。
 たとえば小泉政権時代、新自由主義を信奉する竹中平蔵氏の発案であろう、教育事業の一環として子どもたちに株で儲ける楽しみを教えようと小学校で株式投資の授業をはじめたことが大々的に報じられたが、日本における教育の商品化は、アメリカから直輸入されたこのようなおぞましい洗脳政策とともに進行していったのである。
 ついでに教育関連でいえば、宇沢氏はシカゴ大学経済学部の教授時代、同僚であったフリードマン教授の次のような発言を直接聞いたという。
 「黒人問題は経済的貧困の問題だ。黒人の子どもたちは、ティーンエイジャーのとき遊ぶか勉強するかという選択を迫られて、遊ぶことを自らの意思で合理的に選択した。だから上の学校に行けないし、技能も低い。報酬も少ないし、不況になれば最初にクビになる。それは黒人の子どもがちゃんと計算して遊ぶことを合理的に選択した結果なのだから、経済学者としてとやかく言うことはできない」
 そのとき、ある黒人の大学院生が立ち上がってこう言った。
 「フリードマン教授、私に両親を選ぶ自由などあったでしょうか?」
 これは宇沢氏と経済評論家・内橋克人氏の対談『始まっている未来―新しい経済学は可能か―』(岩波書店、2009年刊)に出てくる挿話だが、このフリードマンと学生のやりとりにこそ、すべてが象徴されていよう。
 もちろん教育ばかりではない。地球温暖化防止策と称してCO2排出権という奇怪な金融商品をつくり出し、市場で売買するという暴挙が世界中で平然と行われているのはご存知のとおり。人類すべての共有財産であるはずの地球環境すらも商品化し、投機の対象とする金融資本家らの抜け目なさと奸智にはあきれるばかりである。
 だがいっぽうで、資本主義社会においては優秀な人がそれだけ儲けるのは当たり前で、それが社会に活力を生み出すのだ、という声も聴こえてきそうだ。これは市場原理主義者たちが金科玉条とする理屈だが、しかしこの異常な富の偏在を見れば、そんな一般論で片付けられる話でないことは明らかだろう。宗主国が植民地を一方的に収奪する帝国主義の構造さながら、法的な歯止めを持たない弱者収奪の仕組みを制度的につくり出す理念こそが新自由主義であり、市場原理主義だということだ。人間の欲望を是とする資本主義社会において、もし社会制度に適正な規制や倫理的規範を設けなければどうなるか、その明瞭な結果が超富豪8人と36億人のニュースなのである。
 「選択の自由」という美名の下、いつのまにか身のまわりのすべてが市場化・商品化され、儲けの対象となり、ほんの一握りの強者による徹底した弱者収奪が合法的に、それもグローバルに行われる―。そんな非人間的で残酷な社会を、われわれは本当に望んだのか。
 余談だが、『始まっている未来』には若い研究者時代の竹中平蔵氏(現在は人材派遣会社パソナグループ取締役会長で安倍政権ブレーン)の驚くべきエピソードも出てくる。すでに著名な学者だった宇沢氏に読んでもらいたいと、竹中氏から自著が送られてきた。ところがその内容は竹中氏ともう一人の研究者とが共同研究を行っていたもので、それを竹中氏は自分だけの研究成果として勝手に本にして送ってきたことが分かったのだ。そのことを宇沢氏は本書で明かし、この剽窃(ひょうせつ)行為は研究者としてはもちろんのこと、人間としてもっとも恥ずべき行為であると切り捨てている。
 むべなるかな、である。
Text by Shuhei Matsuoka
 単行本『風聞異説』http://www.k-cricket.com/new_publication.html
posted by ノブレスオブリージュ at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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